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ファリャよもやま話
2026.08.09
ソペーニャ教授編集 マヌエル・デ・ファリャ 音楽と音楽家についての考察 翻訳1

第1章  p.21

パリからの帰郷 

この章では、ファリャの書いた記事やプロローグを集めました。

それらはファリャやトゥリーナがパリからマドリードに帰った当時の音楽界の様子を如実に語っていて大変興味深いものです。彼らの帰国はグラナドスの早すぎる事故死と時を重ねていました。この悲劇は、これからスペイン音楽界を担い、スペイン音楽を刷新していこうとする若い才能に、更に重い責任感を与えずには置かなかったのです。

ファリャとトゥリーナの関係は興味深いです。同時期にパリに住んでいた彼らは成功の足並みも揃っていて、パリからは二人の成功の様子がいつも一緒に伝えられたきました。「パリのスペイン人たち」。

アンダルシア出身のこの二人の作曲家のスペイン帰還を決定したのは、ヨーロッパ大戦のみが原因ではありません。すでに確かな作曲技術を持っていた彼らは、彼らの新曲によって、より肥沃なスペイン音楽を作りだし、スペイン音楽界をさらに発展させたいとの思いに駆られたからです。パリでの活躍によって、ファリャとトゥリーナはマドリードのアテネオ(*訳者西澤注釈)にてピアノと声楽についての講演会を依頼される名誉を得ています。

 

*アテネオ・デ・マドリード(正式名称:マドリード科学・文学・芸術アテネウム)は、マドリードの「文学地区(バリオ・デ・ラス・レトラス)」にあるプラド通りに位置する、歴史ある民間の文化機関です。1835年に設立され(その起源は1820年にまで遡ります)、スペインにおける自由思想、科学、政治の重要な柱としての役割を担ってきました。

 

  ファリャが通っていたカトリック教会です(グラナダ)